1980年代に行われたアメリカ心理学会の調査で、カール・ロジャーズは「20世紀に最も影響を与えた心理療法家」第1位に選ばれました。

そのときの2位は「論理療法」(REBT)の創始者アルバート・エリス。そして3位はあの有名なジークムント・フロイトですから、ロジャーズが生み出した傾聴の方法がいかに多くの人々に影響を与えたかが分かります。

ちなみに、カール・ロジャーズの映像はこちらで見ることができます。英語のビデオですが、「こんな雰囲気の人なんだ!」と分かるだけでも、親しみが湧いてきませんか。

 

さて、カール・ロジャーズとはどんな人で、どんな体験をして傾聴の方法にたどり着いたのか。ここではロジャーズ自身の有名な講演「これが私です」を参照しながら、彼の足跡を辿ってみたいと思います。

 

内気だけれど、自然と科学への興味が尽きなかった少年時代

カール・ロジャーズは1902年にアメリカ北部イリノイ州の村で生まれました。彼は自分が育った家庭をこんな風に回想しています。

私が育ったのは、家族の間に強い絆があり、とても厳格で妥協のない宗教的・倫理的な雰囲気が満ち満ちていて、勤勉の美徳を崇拝している家庭でした。

家族のなかでは楽しく暮らしていたものの他の家族とはつき合いがなく、そのためにかなり孤立した少年だったそうです。いつも本を読んでいて高校生のときデートをしたのは2回だけでした。

内気な少年のイラスト

 

また、ロジャーズは78歳のときに少年時代を振り返って、こう書いています。

私の内面にはいまだに対人関係でコミュニケーションの難しい内気な少年の姿があるように思う。

作文だと自分の意見を生き生きと伝えられるのに、クラスの中で同じ話をしようとしても上手く話せない…というような少年でした。

 

そんな人間関係の一方で、彼は夜行性の大きな蛾を育てて観察したり、また農業や畜産業の本を熱心に読んだりしながら、自然や科学への興味を育んでいきました。

 

ルナという綺麗な蛾

蛾の一種「ルナ」画像出典:pixaby

 

中国で体験したこと〜お互いに憎み合う若者たち。そして両親からの精神的自立

ロジャーズは科学的農業家を目指してウィスコンシン大学の農学部に入学したものの、学生の宗教会議などに参加するうちに「牧師になりたい!」という想いが強くなってきます。そんなとき、彼の人生にとって重要な経験がありました。

1922年、大学2年生のときに中国でキリスト教関係の学生の集まりがあり、アメリカから参加する12人の学生の1人に選ばれたのです。

 

長い船旅のすえ中国にたどり着き、世界の学生と交流しながら、ロジャーズはこんなことに気づきました。

「フランス人とドイツ人がどれだけお互いに憎み合っているか」

1922年といえば、第一次世界大戦が終わってわずか4年後です。1人1人はいい人なのに、敵国になった者どうし国が違えばお互いに憎み合う。また宗教に関しても、それぞれが別々の教えを信じている…。そんなことを身をもって体験しながら、ロジャーズの視野はこれまで知っていた世界よりも一気に広がっていきました。

生まれ育ったアメリカから遠く離れた中国の地で、両親の宗教的な呪縛から解放され、若きロジャーズはひとりの自立した人間となっていったのです。

ソーセージとワインを手に「ドイツもフランスも美味しいもので仲良くしよう」というイラスト

(3)これが私、カール・ロジャーズです。後編:若きロジャーズが体験した3つのこと