カール・ロジャーズの傾聴の方法についての記事、いかがでしたか。

ロジャーズが試行錯誤の末にうみだした「傾聴」は、単なるカタルシス効果を狙ったものではなく、ひとが自分自身との関係をよくしながら、成長し変化していく、そんな「人間としてのあり方」に深く根ざしたものだということが皆さんに伝われば幸いです。

 

「ジャッジしない」方法としての傾聴

ロジャーズの「傾聴」とは、ざっくりいえば、「自分をごまかさず」「相手を受け入れ」「相手をよく理解する」という方法になります。

彼はさらに、この方法がカウンセリング/セラピーの現場にとどまらず、人と人、グループとグループのコミュニケーションや、さらには国どうしの関係改善にも役立つと考えました。
ロジャーズが1951年におこなった講演を参考にしながら、彼が提案した方法を「傾聴的コミュニケーション」として紹介したいと思います。

ロジャーズが語る傾聴的コミュニケーションの可能性

「ジャッジしたい衝動」がコミュニケーションを妨げている

私たちはいつも「他人を判定・評価したい」「賛成や反対を示したい」と思っています。ところがロジャーズは、それこそがコミュニケーションを台無しにする大きな要因だと考えます。

たとえばある講演会からの帰り道、一緒に歩いている人から「○○氏の話は気に入らなかった」と言われたとします。それを聞いたあなたは、その意見に対して賛成または反対を伝えたくなるのではないでしょうか。

「そうそう。あの意見は本当にひどかったね」とか「そう? 私は良かったと思ったけど」とか…。
この反応自体が必ずしもわるいわけではありません。そうやって会話が弾むこともよくあります。

でもこの「判定・評価する」「賛成・反対を示す」という方法しか知らないと、問題が切実になればなるほど柔軟な対応ができなくなります。

政治的なテーマも、そのひとつです。たとえば誰かが「最近の○○党はしっかりやっている。それに対して☓☓党は頼りないね」と言ったとします。皆さんが政治に強い関心をもっていれば、その意見に「賛成したい!」または「反対したい!」という気持ちが湧き上がってくることでしょう。
関心が強いほど、あなたは感情的に反応しやすくなり、意見を異にする相手とのコミュニケーションが難しくなります。
相手の意見をまずジャッジしてしまう癖がついていると、お互いが自分の意見を押し付けるばかりになって、いつまでたっても議論が噛み合なくなりがちです。
ロジャーズは、そのような「ジャッジしたい」という心理的な傾向を、コミュニケーションを阻害する主要な原因と考えました。

 

ロジャーズのユニークな提案〜まずはよく聴いて理解すること

ロジャーズは日常の議論についてユニークな提案をしています。それはこんな提案です。

 

家族や友人と議論になったときには、少しのあいだ議論をやめて、以下のルールにしたがってみること。

(ルール)
先に話した相手の考えや気持ちをまず正確にくり返してみる。その理解について相手に満足してもらった後、はじめて自分が話すことができる。

つまり、自分の考えを提示する前に、まずは相手の考えや感情を要約できるぐらいまで理解しましょうという提案です。
では、この傾聴的なアプローチがさらに大きなフィールドに広がるとどうなるか。たとえばビジネスの現場で。たとえば国と国が対立している場…などなど。

論争している集団において、自分たちは理解されており、自分たちが状況をどのように受けとめているかを誰かが知っていると認識している場合には、主張が誇張されることもなく、防衛的でもなくなり、もはや「私は百パーセント正しくて、あなたは百パーセント間違っている」といった態度を保ち続ける必要がなくなる。

「やきとり食べたい」という友達に対して、「私は焼肉が食べたい」と反対するのではなく、「焼き鳥食べたいんだね〜」とまずは繰り返す人

たとえ意見が違っても、まずは相手を理解すること。

「なるほど。あなたは……という意見なんですね」「そう、私は……という意見なんです」というやり取りがあれば、お互いが自分の正しさばかりを頑固に主張することも少なくなっていくはずだということですね。

 

傾聴的コミュニケーションの技術を選択肢として持っておく

インターネットやSNSの普及にともない日常の情報量は増大し、誰もが「いい・わるい」「好き・嫌い」「賛成・反対」を表明できるようになりました。1万人のうちの1%が否定的な意見を表明すれば、それが「100件の否定的コメント」として襲いかかることになります。

このような時代こそ、「まずは相手の話をよく聞いて理解し、その理解を相手と共有する」という傾聴的コミュニケーションの技術が効果を発揮するのではないでしょうか。

 

もちろんこの方法がいつでもどこでも万能なわけではありません。

だけど、(1)「ジャッジする」という方法しか持たずに、相手と意見が違うときにはいつも議論や言い争いになってしまうよりも、(2)「ジャッジせずに理解を共有する」という方法をもっておき、(1)と(2)を状況に応じて使い分けられる方がコミュニケーションの柔軟性がアップするのではないでしょうか。

 

「きくこといいこと」のプロジェクトでは、このような「傾聴的コミュニケーション」が持つ可能性にも大いに注目しています。

(7)おまけ:ロジャーズは「傾聴」という言葉をどう使っているか?