映画館で拍手すること〜堀禎一監督の新作を観て
皆さんは、しんと静まりかえった映画館で自分ひとりだけ拍手をする勇気がありますか?
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一週間前の火曜日、映画監督の堀禎一くんが亡くなりました。彼は僕の学生時代のクラスメイトで、「こんなやつがいるんだ」という驚きとともに、僕が当時いちばん影響を受けた同級生でした。
卒業後も交流があったので、僕の視点で簡単に振り返ってみます。
20代後半のころは、ピンク映画の助監督、その後30代になって監督デビューしました。
かつては低予算のピンク映画からキャリアをスタートさせて一般映画に進出する名監督が何人もいました。堀くんもその路線ですが、お金が集まる業界ではないので、生活はなかなか大変だったのではないかと推察します。
2007年~11年ごろにかけて、ライトノベル原作の学園ものを何本か監督しています。
ネット検索するといろんな記事がでてきますが、彼の作品を高く評価して「堀禎一は天才だ」と絶賛している映画関係者が何人かいます。
限られた予算やスケジュールの中で夜を徹して撮影するようなスタイルだったらしく、決して「扱いやすい監督」ではなかったようです。
僕も一度だけ映像の仕事をお願いしたことがあります。
ここ数年は静岡県の山奥の田園でドキュメンタリーを撮っていました。去年、水道橋のアテネ・フランセで堀作品の特集があったときに「どこに注目して観たらいい?」と質問したところ、「音だな」と答えたように思います。風や草木の音、人々の生活の音、それから画面の切り替わりが独特のリズムを作っていました。
上映後は、地方から来てくれた映画関係者と飲む予定があるということで、僕はそのまま帰宅しました。後から「やっぱり藤本も混じって一緒に飲めばよかったね」とメールをもらいました。
今月はそんな堀くんの新作上映と過去作品の特集が東中野の小さな映画館でありました。そんな最中に彼は突然倒れたのです。
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彼が亡くなったと聞いた日、僕は東中野の映画館に行きました。
ロビーはごった返していました。でもそのときはまだ訃報が公になる前だったので、観客のほとんどは純粋に映画を楽しみに来ていたのでしょう。
新作は過去の「ピンク」「学園もの」「田園ドキュメンタリー」の要素が混じったような映画でした。
彼にとっても新境地へと踏み出したところがある映画だったので、「この作品を撮れて良かっただろうな」と思いました。
映画が終わったとき、しんとした映画館でひとりだけ拍手を送りました。胸がドキドキして勇気がいりましたが、「ああ拍手できてよかった」と思いました。
次の映画がはじまるまでの合間にコンビニへと向かうとき、ちょっと泣きそうになりました。
翌日、訃報がでてからは、観客みんなが拍手するようになったそうです。
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週末は、通夜と告別式に参列しました。だけど僕の中では、あの日に勇気をだして拍手したときに、いちばん彼と語り合えたような気がします。
いま思えば、ただ拍手するだけで、なぜあんなにドキドキしたのか不思議です。
でも僕は「誰も拍手しなかったらどうしよう」「いや、だからこそ僕は拍手したい」…といろんな考えが頭をめぐって、結局、自分の心の声に従ったのです。
僕にとっては、今後の原点となる体験になったように思いました。
映画を愛し、映画を撮りつづけた堀禎一監督のご冥福を心よりお祈りします。