傾聴は(ヨガやエクササイズと同じ)「フィットネス」です

「傾聴=傾聴ボランティア」へのちょっとした違和感

僕が「傾聴」の話題をすると、反応がだいたい2つに分かれます。

ひとつは「傾聴・・・よく知らない」という人。

もうひとつは「傾聴・・・ああ、知ってますよ」という人。「知ってます」という人は、「傾聴といえば、傾聴ボランティアですね」ということが多いです。

もちろん高齢者施設などでお年寄りの話に耳を傾ける「傾聴ボランティア」には大切な役割があり、そこから傾聴が普及していくのはいいことだと思います。

お年寄りと話している写真

写真出典:写真AC

でも、僕が傾聴に心引かれているのは少し違う部分なので、それをどう表現したらいいかずっと探していました。

傾聴の役割として僕が感じているのは、「お年寄りの話相手」にとどまらない、自分や同世代の人にとって身近な何か

その過程で、傾聴の元祖ともいえるアメリカの心理療法家カール・ロジャーズの紹介記事も書きました。

 

傾聴とは「感情と意識のフィットネス」である

ところがこの数日、いろんな人と話すうちに、ひとつのイメージが浮かんできました。

それは、ヨガやエクササイズと同列に並ぶような「フィットネス」としての傾聴

ヨガスクールの写真

モノや情報があふれる現代社会で、私たちはカラダやココロの健康を求めて、日常生活に「フィットネス」を取り入れます。

「フィットネス」(fitness)の元々の意味は文字通り「フィットしている状態」。肉体的・健康的観点から、「なりたい自分の姿」にぴったりとフィットしている状態や、そのための行動を指します。

僕自身はスポーツジムの会員になったことはありませんが、片道10数キロの自転車通勤をしたり、休日には近所の公営プールで泳いだりするなど、健康にはそこそこ気をつかっています。

同世代(40代)の友人や知人にも、トレーニングジムに通うなど日常のなかで「フィットネス」を意識している人がたくさんいます。

僕が興味を持っている「傾聴」は、お年寄り相手のボランティアよりはむしろ、ヨガやエクササイズのような「フィットネス」と似ています。

いわば「心のフィットネス」

もう少し詳しく説明すると、傾聴とは「感情」と「意識」をフィットさせ、自然で健康な状態やコミュニケーションを成立させる行為だと、僕はとらえています。

 

あの暴言議員は、感情と意識が「フィット」してない

たとえば、最近話題になった女性議員。秘書に向かって「このハゲ〜っ!」「ち〜が〜う〜だ〜ろ〜!」と暴言を放っていた人。

彼女の場合は、「自分自身の感情」と「そこに向かう意識」がフィット(一致)していないと思われます。

怒りの原因は、おそらく彼女自身の歪んだ思い込みにあります。ところが自分ではそれを素直に認めることができずに、「すべての原因は秘書にある」というズレた認識で発散されてしまっているのです。

これは極端な例ですが、「このハゲ〜っ!」「ち〜が〜う〜だ〜ろ〜!」で有名になった議員とはちょうど逆の心のあり方が「傾聴=心のフィットネス」です。

 

「心のフィットネス」としての傾聴の可能性

怒って混乱している女性の写真

誰にでも、怒りや不安などさまざまな感情があります。

その感情の原因を他人に押し付ける前に、まずは自分の中にある感情をそのまま受け入れてみること

「いま自分は怒っている」「不安を感じている」…どんな感情であれ、まずはそのまま受け入れてみる。感情と意識を一致させる。……それが傾聴の基本技術です。

 

感情と意識を一致させる!

それができると、こんどは相手の話に耳を傾けながら、その人自身が感情と意識を一致させる「フィットネス」のサポートができるようになります。

ざっくりいえば、自分にも他人にもこの「一致」=「フィットネス」を作りだすことが、傾聴の本質です。

そして、この技術が身につけば、誰もが自分らしい自然体で周りの人といい関係を築くことができるようになります。

そんな社会のあり方が、「傾聴」について僕が思い描いているイメージです。

「高齢者施設での傾聴ボランティア」(それ自体は素晴らしいことですが)とは、ずいぶん印象がちがうと思いませんか。

ヨガやエクササイズと似た「心のフィットネス」としての「傾聴」

モノと情報が溢れる現代社会で暮らすときの、大きな可能性がそこにはあると考えています。

 

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