傾聴的(よくきく)コミュニケーションの可能性

カウンセリングの基本技法である傾聴(けいちょう)を学んで、その元祖ともいえる米国の心理学者カール・ロジャーズ(1902~1987)の論文に触れるうち、彼が追求した方法と提案が、私自身が十年ほど考えていたテーマと深く関連していることがわかりました。

カール・ロジャーズの本

 

◎「ジャッジしない」コミュニケーションとしての傾聴

ロジャーズがいう「傾聴(listening)」とは、ざっくりいえば、「評価・ジャッジをしない」「相手を理解し、その理解を相手と共有する」という方法です。
カウンセリングの現場では、相手の感情や意味づけに「良い・悪い」「賛成・反対」の評価をくださず、あたかもその人自身になったかのように相手の立場から気持ちを理解し、その理解を共有します。そうして、相手がみずからの力で望ましい方向に変化していく手助けをするのです。
これは「クライアント中心療法」とよばれ著しい成果をおさめました。今ではカウンセリングの基礎技術になっています。

ロジャーズはさらに、この方法がカウンセリングの現場にとどまらず、人間集団のコミュニケーション改善や、さらには国家間の緊張緩和にも役立つと考えました。
1951年に米国ノースウェスタン大学で行われた講演を参考にしながら(『人間関係と集団間の関係におけるコミュニケーションの危機への対応』)、ロジャーズが提案した方法を「傾聴的コミュニケーション」あるいは「よく聞くコミュニケーション」と捉え、現代社会に有効なスキルとして紹介したいと思います。

 

◎コミュニケーションの妨げになるもの(「ジャッジしたい」衝動)

私たちはいつも「他人を判定・評価したい」「賛成や反対を表明したい」と思っています。ところがロジャーズは、このごく自然な傾向こそがコミュニケーションを台無しにする大きな要因だと考えます。

たとえばある講演会からの帰り道、一緒に歩いている人から「○○氏の話は気に入らなかった」と言われたとします。そのときあなたは賛成または反対のどちらかを伝えたくなるはずです。「そうそう。あの意見は本当にひどかったですね」とか「そうですか? 私は良かったと思いましたけど」とか。
この反応自体が必ずしも悪いわけではありません。しかし「ジャッジする」というやり方しか知らない人は、問題がその人にとって切実なものになればなるほど、柔軟に対応することができなくなります。

政治的なテーマも、そのひとつです。たとえば誰かが「最近の自民党はしっかりやっている。それに対して野党は頼りないね」と言ったとします。あなたが政治に強い関心をもっていれば、その意見に「賛成したい/反対したい」という気持ちがわいてくることでしょう。
その関心が強いほどほど、あなたは感情的に反応しやすくなり、対立する人・グループとは意志の疎通が難しくなるはずです。

さらによくある例として、「対立する相手をナチスやヒットラーにたとえる」ことが挙げられます。彼らはいわば「悪の象徴」です。あなたの対立者がホロコーストの実行犯でもないかぎり、この種のレッテル貼りには必ず誇張や歪曲が含まれます。
これは少しでも相手の気持ちになって考えてみればわかるはずです。自分がヒトラーに喩えられたとして「なるほど」と素直に納得する人がいるでしょうか。私は一例も知りません。
あなたが対立する相手をヒットラーに喩えた時点で、あなたは相手とコミュニケートする可能性を自ら放棄しているのです。

ヒトラー風イラスト「議論を台なしにするいちばん簡単な方法」
ヒットラーの例は極端であるにしても、相手の意見をまずジャッジしてしまう癖がついていると、相手は相手の枠組み、こちらはこちらの枠組みを前提に意見を押し付けるばかりで、いつまでたっても議論が噛み合なくなりがちです。
ロジャーズは、そのような「ジャッジしたい」という心理的な傾向を、コミュニケーションを阻害する主要な原因と考えたのです。

 

◎ロジャーズのユニークな提案

ロジャーズは日常の議論についてユニークな提案をしています。

家族や友人と議論になったときには、少しの間、議論をやめて、以下のルールにしたがってみること。

(ルール)
先に話した相手の考えや気持ちをまず正確にくり返してみる。その理解について相手に満足してもらった後、はじめて自分が話すことができる。

 

つまり、自分の考えを提示する前に、相手の考え方の枠組みに近づき、考えや感情を要約できるぐらいまで、よく理解することが必要だということです。

この傾聴的なアプローチがカウンセリングの現場や小さなグループを越えて、大きな分野に広がっていくとどうなるか。経営者と労働者との話し合いにおいて。さらには対立する国と国との指導者間においても有効なはずだという仮説をロジャーズは提示します。

論争している集団において、自分たちは理解されており、自分たちが状況をどのように受けとめているかを誰かが知っていると認識している場合には、主張が誇張されることもなく、防衛的でもなくなり、もはや「私は百パーセント正しくて、あなたは百パーセント間違っている」といった態度を保ち続ける必要がなくなる。

(『ロジャーズが語る 自己実現の道』C. R. ロジャーズ著/諸富祥彦他訳・岩崎学術出版社 p297)

 

◎論理的側面からの裏づけ

この傾聴的コミュニケーションの方法は、ロジャーズにおいては心理的側面からのアプローチだといえます。一方、このアプローチは論理的な側面からも有効だと考えられます。

たとえば、論理的な議論を行うときは以下の2点に留意する必要があります。

(1)相手の意見を誇張・歪曲しない。
(2)相手の意見を、できるだけ筋が通ったものとして解釈する。

(1)についていえば、相手の意見を歪曲したり誇張してから攻撃するやり方は「わら人形論法」と呼ばれ、論理的誤謬の代表的なものとされています。
また(2)は「寛容の原則」とよばれ、日常言語をもちいてロジカルな議論を行うときの基本的態度になります。

 

◎傾聴的コミュニケーションのスキルを選択肢として持つ

インターネットやSNSの普及にともない日常の情報量は加速度的に増大し、誰もが「いい・わるい」「好き・嫌い」「賛成・反対」を表明できるようになりました。1万人いるのうちの1%が否定的な意見を表明すれば、それが「100件の否定的なコメント」として影響力を持つことになります。

このような時代においてこし、「評価・ジャッジせず、まず相手を理解し、その理解を相手と共有する」という傾聴的コミュニケーションは、万能ではないにしても、有用なスキルになると私は考えます。

みなさん。「ジャッジする」という方法しか持たないよりも、「ジャッジせず、まず理解を共有する」というスキルを持ち、状況において使い分ける方が、建設的なコミュニケーションを実現できると思いませんか。
傾聴的コミュニケーションの具体的なスキルについては、私自身も学びながら、紹介していきたいと考えています。

 

※この記事は旧ブログ「質問学」(2016-05-22)の転載です

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