マインドフルネス/フォーカシング/自己一致

マインドフルネス

皆さん、とりとめなく考え事をして「心ここにあらず」の状態になることはありませんか。僕はよくあります。そんな「心ここにあらずの状態」とは対極にある「目覚めの状態」、これを「マインドフルネス」といいます。月に1回行っている傾聴の自主勉強会で、この「マインドフルネス」を取り上げてみました。

「マインドフルネスとは」の図

※『実践!マインドフルネス』(熊野宏明著/サンガ)より

人間は言葉によって思考します。でもときには、その言葉が頭の中にバーチャルな世界をつくりだして、現実との接点が失われてしまうことがあります。過去の失敗を何度も思い出して憂鬱になったり、将来ついての不安から抜け出せなくなったり…。そんな過去や未来や、その他あれこれではなく、「いま、ここ」の現実に気づき集中すること。それがマインドフルネスの本質です。

目は閉じていても開けていてもかまいません。

  1. 自分の呼吸に集中し、思考が浮かんでくるとそれに気づいて、また呼吸に戻るという「一点集中型の瞑想」
  2. 注意のフォーカスを自らの身体感覚や思考から、周りの世界(自分がいる部屋の空気、人、音…)まで広げていく「パノラマ型の瞑想」

これをそれぞれ5分ずつ体験してみました。

ぼく自身、これはNHKの番組や、そこに出演していた先生(早稲田大学・熊野宏明教授)の本の聞きかじりなので、マインドフルネスについて詳しく知っているわけではありません。とはいえ、「いま、ここ」に意識を集中するという体験は、傾聴や、日常のコミュニケーション、仕事への集中にも役立つのではないかと思いました。伝統的な瞑想から宗教的要素を排除したマインドフルネスは、Yahoo!やグーグルやフォードなど、多くの企業でも取り入れられているのだそうです。

フォーカシング

自主勉強会ではマインドフルネスと並んで、「フォーカシング」「自己一致」と取り上げました。傾聴(クライアント中心療法)に近い、「気づき」の技法として「フォーカシング」があります。

「フォーカシング」の解説イラスト

※『孤独であるためのレッスン』(諸富祥彦/NHKブックス)より

たとえば自分の中に、ザワザワとした簡単に言語化できないような「感じ」があるとします。その「感じ」を頭から否定するのではなく(右図)、またその感情に飲み込まれてしまうのでもなく(左図)、その「感じ」を自分の一部としてそのまま認め、対話し、丁寧に言語化する手法が「フォーカシング」です。カウンセリングが成功するとき、クライアントはこのように「自分の中にある『感じ』に気づき、それを何とか言葉にしよう」としていることが多いといわれています。

 

自己一致

傾聴(クライアント中心療法)の本質的な要素とされる「自己一致」も、自分のいまこの瞬間の感情に気づくという点で共通しています。これはクライアントではなくセラピスト側に求められる態度だともいえるでしょう。

「一致した(congruent)という用語は、私がこうありたいと思うあり方を表すためによく使ってきた言葉の一つである。「一致」とは、私が体験している感情や態度がどのようなものであっても、その態度に自分が気づくこと(awareness)によって、それと矛盾しないでいられるという意味である。これが実現できたとき、その瞬間、私は一つのまとまりのある統合された人間(a united of integrated person)であることができるし、どんなに深いところでも自分自身であることができるのである。わたしが他者を信頼できると経験するとき、そこにはこうしたリアリティが存在している。
(『ロジャーズが語る 自己実現の道』C.R.ロジャーズ著/岩崎学術出版社 p51)※太線は引用者

 

3つの共通点

「マインドフルネス」と「フォーカシング」と「自己一致」。その共通点は、「いま、ここ」の状態・感情の流れに「気づく」ということではないかと思いました。「マインドフルネス」は、気づいたうえで、思考をいったん横において、現実のできごとに集中する。「フォーカシング」は、微妙な、ザワザワした「感じ」に気づき、その「感じ」と向かい合って、それを丁寧に言語化しようとする。「自己一致」はセラピストに求められる態度として、自分の感情体験をありのままに捉え、そこに正直であること。

ぼくはとりあえず、そんな風に理解ましたが、いかがでしょうか。詳しい方がいらっしゃったら、さらに教えていただきたいところです。

 

※この記事は旧ブログ「質問学」(2016-09-19)の転載です

 

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