「フツウ」を「フツウじゃない」と割り切れば、人間関係がうまくいく
皆さんは家族や友達と喧嘩になったとき、こんなことを言ったり言われたりしたことはありませんか? 「フツウは○○だろう」「フツウは○○でしょ」と。
「目玉焼きには普通はソースだろう」「目玉焼きには普通マヨネーズでしょ」と食の好みぐらいなら笑っていられますが、礼儀作法や習慣、家のしきたりだと、お互いが強い不満を抱えたり、言い争いになることもありますよね。
「人間は考える葦である」の言葉で有名な哲学者のパスカルに、こんな言葉があります。「ピレネー山脈のこちら側の真理は、あちら側では誤り」。
「ピレネー山脈」とは、ヨーロッパのイベリア半島の付け根にある、フランスとスペインの国境となっている山脈です。
国境を越えれば、こちら側で正しいとされていることがあちら側では間違いだとされる。その逆もまた然り。
同じことは個人と個人の間でも言えます。
「フツウは○○だよね」「そうそう!」とお互いの間に共通理解があるときはいいですが、お互いの「フツウ」が異なるときは、一触即発の要注意!
そんなときは、「フツウ」を「私の価値観」に置き換えてみましょう。
「私の価値観では、目玉焼きにはソースをかけるものだと思っている」「私の価値観では、目玉焼きにはマヨネーズがいいと思う」などなど。
「フツウ」という言葉を「○○であるベキである」という意味を込めて絶対化すると争いになります。でもあくまで「私の価値観では○○だと思う」「あなたの価値観は○○なのですね」と柔軟に対応することで、次のステップが見つかりやすくなります。
「この年齢になって始めるなんて、フツウは恥ずかしくてできない」「フツウはもっと優しくしてくれるはずだ(じゃないと耐えられない)」というときも、もしその「フツウ」があなたの目標への道の妨げになっているのなら、あくまでもひとつの価値観にすぎないと割り切って、手放すことを考えてみましょう。