「かんたん・とは・いって・いない」(恥ずかしさを越えて行動すること〜ドライデン先生のRAPID REBTセッションから)
ドライデン先生のRAPID REBT
先日、ネットでREBT(論理療法)のライブセッションを見ていました。REBTの世界的なリーダーの一人であるウィンディ・ドライデン先生(イギリス)のセッションが自宅にいながら見られるのは、コロナ前では考えられなかった貴重な機会です。日本時間では夜中の2時ですが、仮眠をとったあと、パソコンに向かいました。
RAPID REBT(速いREBT)と名付けられたライブセッションは、たしかにとても速く進みます。1時間のうちにカウンセリングセッションが2回と質疑応答タイムも。つまり、1回のカウンセリングはたかだか20分程度です。
「20分で問題解決なんてできるの?」と半信半疑の方もいるかもしれません。そこがRAPID REBTたるゆえん。クライエント(相談者)の話を長々と聞くのではなく、質問やたとえ話を駆使しながら、短時間で問題の核心に迫ります。
ペルー人女性の相談
その日1人目の相談者は南米ペルーの女性でした。
つまり、そのとき女性がいるペルーは正午、ドライデン先生のイギリスは夜の7時、日本は夜中の2時。また、インドからの参加者も多く、夜の10時30分。
その女性は数年前にがんを患い、手術痕が残る胸を彼氏に見せられないという相談でした。また、ビーチでも胸の傷を人に見られないように隠してしまいます。
ドライデン先生は話を聞きながら、女性に対し積極的に質問を投げかけます。
女性はボーイフレンドから魅力的だと思われたいという願望があります。その願望自体は正当なものです。
ただし、(1)「魅力的だと思ってほしい」(願望want to) と (2)「絶対に魅力的だと思われなければならない」(絶対的な要求have to) は違います。
彼女が羞恥心(shame)にさいなまれるとき、その感情と結びついているのはどちらの態度なのか?
彼女は、(2)の「ネバナラナイ」という絶対的な要求が自分自身を苦しめていることを知ります。
無条件の自己受容
セッションの話題は、短い間に「無条件の自己受容」に進みます。
人からどう見られるかによって自分の価値が高まったり低くなったりするのではなく、彼氏や周りの評価にかかわらず、自分を「無条件で」受容すること。それが羞恥心を乗り越えるカギとなります。
女性は言いました。「(胸の傷を人にさらすことは)難しいけど、できる」と。
それを受けて、ドライデン先生は自分の禿頭の額を、まるでそこに文字が書かれているかのように指差しながら、こう言いました。
「この額の文字を見てごらん。「わたしは・それが・かんたん・とは・いって・いない」(I did not say it would be easy)」
今まで何年も隠していた胸の傷を人にさらすことは簡単ではありません。まして、愛する彼氏には…。好きな人から「魅力的でない」と思われることを彼女は恐れていました。
だから、そのセッションのときには頭で理解したつもりになっても、実際に行動することは簡単ではありません。勇気も思い切りも必要です。
そのことについて、ドライデン先生は自分の禿頭を指差しながら「それが簡単ではないこと」をユーモラスに印象づけたのです。
宿題:ビーチで写真を撮ること
20分程の短いセッションの終わりに、ドライデン先生は女性に宿題を出しました。
その宿題とは、「ビーチで胸の傷を隠していない写真をとり、その写真を私にメールすること」。
女性は微笑みながらOKと答え、「さっそく今週末にやります!」と約束しました。
「誤りやすい人間」への眼差し
RAPID REBTのセッション。驚くようなスピードですが、その奥には、「誤りやすい人間」(fallible human)への温かい眼差しがあります。
私たちは人間であるかぎり誰一人完璧ではない。いろんな欠点があるし、ミスも犯す。
ひとつひとつの特徴や行動は良かったり悪かったりと評価の対象になるが、「誤りやすい人間」である自分自身は評価対象とせず「無条件に」受容すること。
質問やたとえ話やユーモアを駆使してそれを伝えるRAPID REBTのセッションに私は静かな感動を覚えました。
数日たった今もその感動がじわりと続くのを感じ、私自身も多くの日本人の人に知ってもらいたいと思ったのでした。
この記事の執筆者
藤本祥和:REBT心理士/動機づけ面接トレーナー/ハートのフィットネスクラブ主宰