REBTと絶対化のダーツ〜「願望」を「絶対的要求」にエスカレートしないこと
REBT心理士の試験に合格(正式には1月から)、先週は学会の年次大会にも参加して、一区切りついた気分です。
さて、改めてサイトについて考えると、「セルフヘルプのアイデアを楽しむ」というコンセプトが浮かんできました。
REBTをベースに、セルフヘルプの方法についてのアイデアやヒントを紹介できるといいなと思います。
今回は、感情が混乱する仕組みを「絶対化のダーツ」という例えで説明してみます。
REBTと絶対化のダーツ〜「願望」を「絶対的要求」にエスカレートしないこと
○「願望」と「絶対的な要求」
論理療法の理論によると、感情が混乱するとき、その人には「ガンコな思い込み」があります。
これを「ダーツ」の絵で説明してみましょう。
ここに単純化されたダーツの的(ボード)があります。
真ん中に刺されば成功、そうでなければ失敗だとします。
「上手く真ん中に刺さるようにしたい」…これは健全な願望です。
失敗したら残念ですね〜
その時は、いさぎよく諦める。またはさらに練習を重ねて技術の向上を目指す。
どちらも健全な行動です。
ところが、もしプレーヤーがこんな風に思い込んでいたらどうでしょう。
「絶対、真ん中に刺さらなければならない。そうでなければ自分は全く価値のない人間だ。」
こんな風に思い込みが強すぎると、外れたときは極端に落ち込んでしまうことになるでしょう。
「○○になればいい」「○○になることを望む」という願望はあってもいい。
ところが「絶対に○○でなければならない」という絶対的な要求にエスカレートしてしまうと、現実がそうならないときに感情の混乱を引き起こします。
○ケーススタディ:恋愛/ルール/先延ばし」
いくつかの例で考えてみましょう。
※恋愛
恋愛に失敗しても何とかそれを受け入れ次へ進める人と、打ちのめされてしまう人は何が違うのでしょう?
1.「願望」パターン:
「彼女がデートをOKしてくれるといいな。願いがかなってほしい(そうでなくてもほどほどに受け止めよう)」…これは健全です。
2.「絶対的要求」パターン:
「彼女は絶対にデートに応じなければならない!(そうでないと耐えられない)」…この思い込みが強すぎると、現実が上手く行かないとき、極度に落ち込むことになります。
※社会のルール
社会のルール違反に遭遇したときに、適度の怒りに留められる人と、怒りがコントロールできなくなる人は何が違うのでしょう?
1.「願望」パターン:
「みんながルールを守ってほしい(でも現実はそうでない場合もある)」…これは健全です。
2.「絶対的要求」パターン:
「ルールは絶対に守るべきだ。そうでないとその人間には全く価値がない。許せない!」…この思い込みが強すぎると、ルール違反に遭遇したときに、その現実を許容する余地がなくなり、怒りがコントロールできなくなります。
※先延ばしグセ
仕事や宿題や自分で決めたことに、取り書かれる人と、グズグズと取りかかれない人は何が違うのでしょう?
1.「願望」パターン:
「この作業が短時間でラクにすめばいいな(たとえそうじゃなくても仕方ない。何とか頑張ろう)」…これは健全です。
2.「絶対的要求」パターン:
「この作業は絶対にラクラクと進まなければならない。そうでなければ耐えられない!」…こういった思い込みが強すぎると、作業に取り組むフラストレーションに耐えられないので、結局はグズグズと先延ばしすることになります。
○まとめ
つまり、「こうなってほしい」という願望そのものはOKなのです。
たとえ願望どおりにならなくても、その現実を受け入れ、次へのモチベーションを作り出していくことができます。
ところが願望がエスカレートして「絶対こうでなければならない!」という絶対的欲求になってしまうと、(ダーツボードでいえば真ん中以外の)現実が受け入れられなくなり、感情のコントロールが効かなくなってしまいます。
これを逆からみれば、感情のコントロール法も見えてきますね。
セルフコントロールが上手くいかない場合、その人には願望からエスカレートした絶対的要求が隠れています。
だからその絶対的要求を「こうなってほしい。だけどそうでない現実も受け入れられる」という具合に緩めて、現実への許容範囲を広げられればいいわけですね。
「絶対化のダーツ」のイメージ、ぜひ参考にしてみてください。