REBT:シェイム・アタッキング・エクササイズの効用~40年の経験から(R・ディジサッピ氏 ブログ紹介)

シェイム・アタッキング・エクササイズ(羞恥心粉砕法。人前でバカな行動をする心理療法的な訓練)について、アルバートエリス研究所のレイモンド・ディジサッピ先生がブログ記事を執筆されていました。

私が「日本の読者に紹介したい」SNSにコメントしたところ快諾してくださったので、拙いながらも和訳してご紹介します。(完全な直訳ではなく、日本人読者向けに多少の変更を加えたり見出しをつけたりしています)

「周りの目が気になって行動できない」「他人に否定されると落ち込んでしまう」という人は、世の中にはこんな方法もあるのだと、よかったら参考にしてみてください。

 

シェイム・アタッキング・エクササイズの効用~40年の経験から(筆者:R・ディジサッピ)

◎アルバートエリス研究所の必修科目として

1975年に博士号を取得したあと、私はアルバート・エリス博士のもとで学ぶため、ニューヨークのアルバートエリス研究所にやってきた。

当時はすべての研修生に対して、アルバートが主導する体験的グループセラピーへの参加が必修とされていた。そしてアルバートはグループメンバー全員に、かの悪名高き「シェイム・アタッキング・エクササイズ」(羞恥心を粉砕する訓練)への参加を求めたのだ。

この心理療法的な訓練では、「恥ずかしい」「不安になる」という理由でその人が避けている行動を取り上げる。

アルバートによると、人はしばしば周囲からの拒絶的な反応を怖れるあまりに、自らの行動を抑制してしまう。だからこそ、それを乗り越えるシェイムアタックの訓練が有効なのだという。

そんなわけで、このグループの参加者は人前で行うことがもっとも怖ろしい行動を自ら選ばなければならない。

アルバート・エリス博士

アルバート・エリス博士(出典:AEIフェイスブックページ

◎シャーロック・ホームズの帽子

若いころ、私は帽子が大嫌いだった。帽子姿は愚かに見えて、私は決して帽子をかぶることがなかった。

思い返せば、私の父はいつも帽子をかぶっていて、母は幼い私に父の帽子を無理やりかぶらせようとしたものだった。

しかしながら、幼少期の原体験へと洞察を深めてみたところで、帽子をかぶることへの私の恐怖が消え去るわけではなかった。

「君が人前でいちばんやりたくないことは何だい?」とアルバートに聞かれ、私は答えたーー「帽子をかぶることです」。

すると、シェイム・アタッキング・エクササイズの課題として、彼はできるだけ馬鹿げた帽子をかぶることを私に提案した。

私が即答を避けていると、彼は「君にピッタリの帽子を知っているぞ」と喋り始めた。彼が提案したのは、あの架空の探偵、シャーロック・ホームズがかぶっていた「鹿撃ち帽」。前と後ろにつばがあって耳覆いが上で結べるようになっている、あの帽子である。

私の顔に恐怖がよぎるのを見て、グループのメンバーはこれこそが私が取り組むにふさわしい課題だと確信した。

そして、私はこの帽子を買うことを決断したのだ。

シャーロック・ホームズ

写真出典:ウィキペディア

鹿撃ち帽

写真出典:アマゾン

◎シェイム・アタッキング・エクササイズの3つの目的

シェイム・アタッキング・エクササイズは、その人が恐れていたり、恥ずかしい気持ちになる行動をあえておこなうという行動療法的・曝露療法的な取り組みである。

ひょっとしたら「シェイム・アタック=羞恥心を打ち砕く」という名称は誤解をまねくかもしれない。なぜなら、人はこれらの行為に関して、しばしば羞恥心よりも「社会的な不安」を経験するからだ。

この訓練には3つの目的がある。重要な順に記すと…

  1. あなたはネガティブな感情に支配されるのではなく、それに逆らい、不快さを乗り越え、自ら計画したとおりに行動できる。そのことを実際に体験して証明すること。
  2. もし周りの人があなたの行動を気に入らず、そのためにあなたを認めてくれなかったとしても、それは決して恐ろしいことではないし、あなたはそれに耐えられる。そう確信が持てること。
  3. 周りの人は私たちの行動にほとんど興味など持っていない。にもかかわらず私たちは他人に認められなかったり拒絶されることをあれこれ想像しては、大げさに受け取ってしまう。そのことに気づくこと。

◎9ヵ月 帽子をかぶり続けて

さて、私はこの鹿撃ち帽を9ヵ月間かぶり続けた(ウール製の厚手の帽子なので、暑い日はさすがに控えたが)。そして、この帽子をかぶっているときに経験する強烈にネガティブな感情にも何とか耐え続けたのだ。

この帽子姿の私を笑う人たちもいたが、私は彼らの否定的な反応を何とかやりすごすことができた。

でもいちばん驚いたのは、多くの人たちが私の帽子と、こんな風変わりな帽子をかぶる私の大胆さをほめてくれたことである。

その年が終わり、私はやっとその帽子をかぶる生活を終えた。ところが、寂しくなったのだ。

私は帽子にあこがれを抱きはじめ、冬にはとうとう帽子(とは言っても前より普通のもの)を買ってかぶるようになった。

私にはまだ恐怖心があったが、それも何とかやり過ごすことができたし、そんな私の恐怖心に気づく人はほとんどいなかった。

◎シェイム・アタッキングを振り返って

以上は、43年前の話である。

最近私は、パナマ帽の愛好家だ。暖かい季節にはいろんなパナマ帽を楽しんでいる。プエルト・リコに行くたびに、お気に入りの帽子店を訪れ、ヨレヨレになった古いパナマ帽に代わる新品を手に入れるのだ。

私はまた、スエードやウール製の冬用の帽子もいくつか所有している。

つまり、私にとって最大の社会的恐怖心は、愉しみへと変化したのである。

多くの人が私の帽子をほめてくれたそれはアルバートの訓練のポイントとは異なってはいたけれど。

しかし私はたしかに学んだのだ。不快な感情であろうと自分がそれに耐えられること、そして、人が怖れていることは愉しみにもなりうることを。

ありがとう、アルバート。

さて、皆さん。あなたのシェイムアタックはどんなことですか?

ディジサッピ氏近影(写真出典:AEIフェイスブックページ

ブログ原文:A Forty Year Follow-Up of the Efficacy of Shame Attacking Exercises: A Single Case Study

 

(メモ)

いかがでしょうか。

この夏、私は「毎日1つ恥ずかしいことをする」という課題を課して、服を前後逆に着たり、左右別々の靴を履いたり、ランドセルを背負ったり、歌をうたいながら街を歩いたりしました。

実際、「恥ずかしい」→「意外と平気」→「恥ずかしい」→「意外と平気」…という感覚を行ったり来たりしながら、徐々に慣れていくところがあります。

その経験が蓄積されると、仕事や人間関係でちょっとしたトラブルが起こったり、周りから否定的な反応が帰ってきたときにも、マイペースで次の判断を下せる…といいのだけれど(笑)

シェイム・アタッキング・エクササイズ! 面白いと思いませんか?

ランドセル姿の筆者

 

写真:「恥ずかしい〜」と思いながらランドセル姿で渋谷の街を歩く筆者

 

 

 

 

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