REBT(論理療法)の「エレガントな解決」とは?
不安や落ち込みなどの感情問題に対するアプローチの中でも、REBT(論理療法)は「エレガントな解決」(Elegant Solution)だとも言われます。それはどういうことでしょうか。
できごとの真偽確認をしても解決にならない
REBTのアプローチを「エレガント」と呼んだのは、創始者であるエリス博士です。なぜそう言ったのかというと、REBTでは外部のできごとが実際にどうであるかに左右されず、感情問題の解決を図れるからです。
たとえば、次のようなケースを見てみましょう。
Kさんは十代のとき、偶然、自分が養子であることを知りました。育ててくれている養親には感謝しつつも、一方で「実の親が自分を捨てたのなら、自分は人に愛される価値がない人間だ」という思いが離れなくなりました。そして、自分のことがどんどんみじめに感じられるようになりました。
このとき、Kさんがみじめな思いから解放されるためには、どうすればいいでしょうか?
生みの親に会いに行って、自分が愛されていることを確認する?
それも1つの方法です。だけど、この方法には難点があります。実親に会ったからといって、愛されていることを確かめられるとは限りません。「やっぱり愛されてなかった」という可能性もあります。(「愛されていた」という可能性と同様に)
「できごとの真偽を確認する」という方法は、常にハッピーエンドを用意してくれるとはかぎらないのです。
REBTのアプローチ:できごとではなくビリーフを確認する
REBTでは、Kさんのみじめな気持ちの原因は「実親に愛されているかどうか」という外部のできごとではなく、Kさん自身の心の中にあると考えます。
今回のケースだと、Kさんが気にしている外部のできごとの中で、Kさんが一番恐れている核心をさぐります。それは「実親がKさんを愛していない(かもしれない)」ということ。このような、できごとの核心部分を「クリティカルA」と呼びます。
そのうえで、出来事(A)―ビリーフ(B)―感情(C)の関係を明らかにします。
出来事(A):「私は実親に愛されていない」※1
ビリーフ(B):「私は実親に愛されるべきだ。そうでない私は価値がない人間だ。」
感情(C):落ち込み・うつ状態
※1:実際に愛されていないかどうかは分からないが、ここでは「愛されていない」という推論までを事実だとする(クリティカルA)
ここでの問題はKさんのビリーフ(B)です。
もちろん、実親に愛されるのと愛されないのとどちらがいいかといえば、愛されている方がより好ましいでしょう。しかし、その好ましさ(preference)を越えて、「絶対に愛されなければならない。そうでない自分は価値がない。」と思い込んでいる場合、その頑ななビリーフがKさんの感情的な問題の原因となっているのです。
さて、ここまで整理ができれば、つぎは、このビリーフに対して、本当にそれは妥当な考え方かどうかツッコミを入れていくわけです。(このツッコミの方法はいろいろありますが、ここでは省略します。)
REBTの「エレガントな解決」について、イメージが湧いてきましたか?
つまり、ネガティブな感情(C)の原因は外部のできごと(A)ではなく、Kさん自身の考え方(B)ですから、「実親がKさんを愛しているかどうか」というできごとの真偽をわざわざ確かめる必要はありません。
「実親がKさんを愛しているかどうか」という事実関係にかかわらず、Kさんは自分自身の思い込みと向き合うことで、みじめな感情から自由になることができるのです。
まとめ
できごとの真偽を調べるのではなく、根本原因であるビリーフを一直線に特定する! これがREBTの「エレガントな解決」です。
これは言い換えると、Kさんの幸不幸を決めるのは、他の誰でもなくKさん自身だということです。
世界中の誰であれ、Kさんの幸せを決めることはできません。
人は誰であれ自分の感情に責任をもち、自分の幸せを決めることができる。これがREBTの基本的なスタンスです。