REBTから見た「希望的観測」でダメージを受けない方法
「希望的観測」ってありますよね。いい方向にあれこれ期待してしまうことです。
例1:「明るく挨拶」→「恋愛感情」
たとえばあなたが男性だとして、可愛い女性が明るく挨拶してくれたら嬉しいですよね。
「A子ちゃんが毎日明るく挨拶してくれる」
…これは事実だとしましょう。
でも、「A子ちゃんはボクに恋愛感情があるはずだ」。
これは「希望的観測」です。
そこには事実(明るく挨拶)を超えた推論(明るく挨拶をしてくれるならば、恋愛感情がある)が含まれています。
そのあと勘違いが発覚して、落ち込んだり、ひどい場合は逆恨みしたりすることだってあるかもしれません。
別の例を見てみましょう。
例2:「羽振りがいい知人に遭遇」→「お金を貸してくれるかも」
あなたがお金に困っているとします。
そのとき街で偶然、昔の知人にあって立ち話をしました。
彼はずいぶん羽振りがいいようです。
別れたあと、こんな風に思いました。
「彼ならお金を貸してくれるかも」
これも希望的観測ですね。
「彼は羽振りがいい」までは事実だとしましょう。
だからといってお金を貸してくれるとは限りません。
あくまでもそれは「羽振りがいいなら、お金を貸してくれる」という推論にすぎません。
REBTから見た「希望的観測」でダメージを受けない方法
(例1)「可愛い女性が明るく挨拶」→「恋愛感情があるはず」
(例2)「知人が金持ち」→「お金を貸してくれるかも」
どちらも事実を超えて「恋愛感情があるはず」「お金を貸してくれるかも」という希望的観測になっていますね。
希望を抱くのはいいのですが、それが期待はずれの結果になったとき、「落ち込み」「怒り」「嫉妬」などダメージを招かないための予防法が2つあります。
○論理療法の観点からみた「希望的観測」の予防法
(1)「願望」と「ベキ」を分ける
「彼女が僕に恋愛感情を抱いてくれているといいな」は願望です。しかし、その願望が事実でなければならないという必然性はどこにもありません。
願望がエスカレートして「彼女は僕に恋愛感情を抱くべきだ」となると、そうでないことがわかったときに「落ち込み」「怒り」「嫉妬」など不健康な感情を招くことになります。
願望はあくまで願望であって、事実ではない。また、「そうあるべきだ」という必然性はどこにもないことを頭の隅に置いておきましょう。
(2)「サイアク」を想定する
「彼女が明るく挨拶してくれる」という事実に対して、最高の結果(のひとつ)は「彼女がボクに恋愛感情をもっている」です。
それはそれとして「サイアク」の方も想定しておきましょう。「彼女は恋愛感情などまったくもっていない」のほうですね。
論理的な可能性としては「彼女は実は自分のことをすごく嫌っているけれど、営業的な理由であえて笑顔で挨拶している」「全知全能の神がボクを試そうとしている」などいろいろ考えられますが、そこは現実的に考えられるなかでの「サイアク」でいいと思います。
とにかく、「願望」(彼女が僕に恋愛感情を抱いてくれるといいな)の一方で、「サイアク」(彼女は僕にまったく恋愛感情はもっていない)も想定しておくと、不必要なダメージを予防することができます。
まとめ
「希望的観測」には、事実を超えた推論が含まれています。そのとき…
- 「願望」と「べき」を分ける
- 「サイアク」を想定する
この2点を心がけると、「落ち込み」「怒り」「嫉妬」などの不健康でネガティブな感情に陥ることを防ぐことができます。
論理療法の観点から見た「希望的観測」の予防法、よければ参考になさってください。
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